![]() 涙とともに種を蒔く者は、 喜び叫びながら刈り取ろう。 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、 束をかかえ、喜び叫びながら帰ってくる。 詩篇126:5~6 ![]() あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。 神があなたがたのことを心配してくださるからです。 ペテロⅠ5:7
今日聖書を読んで目に留まった箇所です。
「さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べるものを与え、 わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、 わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。」 すると、その正しい人たちは、答えて言います。 「主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、飲ませてあげましたか。 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。」 すると、王は彼らに答えて言います。 「まことに、あなたがたに告げます。 あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、 しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」 マタイ26:34~40 わたしたちは、 たまに、こんだけしてあげたのに、 なんにも、かえってこないし、しかも、 そのことによって、自分がつらい思いをすることさえないでしょうか? けれども、イエスさまは、 お腹のすいている人、渇いている人、泊まるところのない人、裸の人、病気の人、牢に入っている人、、、 困ったことの状況の中にある人のために、したことは、 全部、わたしのためにしてくれたことです。と 言ってくださいます。 イエスさまは、そのような困った人の味方ですし、 その人たちの気持ちをご存知の方なのです。 そして、困った状況の方そのものかもしれません。 ある礼拝のメッセージをきいて、
アッと感じた。 わたしは、忘れていた、、と 思いました。 イエス様が十字架にかかって、 わたしの罪のために死んでくれた、 そして、今も生きておられる。 わたしは、 こんな重要なこと、 取り違えていた。。と、思った。 今までも知ってたけれど、 はっきりしった。 今も、 イエス様が生きていてくださっている、 そして、 そのことを思うたびに、 わたしは ホッとする。。 よかった。 自分の悪いところ、 人見知りして、 無愛想になるところ、 そんなところも、 気づいた。 十字架のイエス様、 わたしの罪のために、 もう背負って死んでくださった。 そして、 今わたしと生きていてくださってる。 キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、 罪と死の原理から、あなたを解放したからです。ローマ8:2 このわたしはあなたを忘れない。
見よ。わたしは手のひらに あなたを刻んだ。 イザヤ49:15・16 今朝読んでいたら、イエスさま、語ってくださいました。 あなたは決してわたしを忘れられない、 離れないで、いっしょにいてくださる。 わたしには今あなたに導いていただきたいことがあること、 あなたは知っておられます。 きのうも読んだ本にこのみことばがあって、 また今日も見つけました。 あなたは、わたしの悩みをしって、 それをさげすむことなく、いとうことなく、 きいてくださってる。 主がご自分の民を慰め、 その悩める者をあわれまれるからだ。イザヤ49:13 イエスさま、、 ありがとう。 きのうひさしぶりに知人に会いました。
ふたりで今までのこといろんなことをぺちゃくちゃおしゃべりをして、 楽しいときをすごしました。 途中でキリスト教書店に立ち寄って、とっても素敵な本をみつけました。 マックス・ルケード作‘wonderful‘という本です。 抜粋、 神さまの手にはきみの名前が書いてある。 (見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。イザヤ49章16節) ・・・ 横をむいてごらん、神さまはきみが走るのを応援してる。 ゴールをみてごらん、 あれは神さまがきみのかけ足に拍手を送っているところ。 神さまは きみの味方。 神さまがカレンダーをもっていたなら、 きっと きみの誕生日には マルがついてるよ。 神さまが運転する車なら、 きっと バンパーに君の名前のシールが はってある。 こんな本です。 とってもうれしいです。 神さまはわたしのことを愛してくれてる、 いつも 横にいて励ましてくれて、 心の声に耳を傾けてくれてるのですね。。
知恵を得よ。悟りを得よ。忘れてはならない。
私の口の授けたことばからそれてはならない。 知恵を捨てるな。 それがあなたを守る。 これを愛せ。これがあなたを保つ。 知恵のはじめに、 知恵を得よ。 あなたのすべての財産をかけて、悟りを得よ。 それを尊べ。 そうすれば、それはあなたを高めてくれる。 それを抱きしめると、 それはあなたに誉れを与える。 それはあなたの頭に麗しい花輪を与え、 光栄の冠をあなたに授けよう。 箴言4:5~9 ****** こんだけも、知恵を得よ。さとりをといわれ、 絶対に知恵を捨ててはいけない、 愛せ、財産をかけても、悟りを得よ、尊べ、 抱きしめよ。 それらはみんなあなたによいものをもたらすから、と そして神様ご自信が光栄の冠を授けようと、 わたしは今まで知恵なく、悟りもなく、いきていたしいきてきた、 はっきりって、今も、知恵ってなに?とききたい。 そしてそれがはっきりとわからない、 だけど、最近知恵がほしいなと思う。 悟り大切なものなんだ。 わたしはばかだったけど、 どうか知恵をください、 信仰を持って祈ります。 わたしはばかだったけれども、 神様はよいかた、そして信じてうたがわずに願うものに知恵をさずけてくださいます。 知恵ってなに? 聖書コンコーダンスでみてみた、 知恵は人間の知恵、世の知恵、と神の知恵があるようだ。 それで思い出したみことばが、 上からの知恵。 しかし、上からの知恵は第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに道、えこひいきがなく、見せかけのないものです。ヤコブ3:17 わたしにはないかもしれない。 でも、知恵を大切にしなくちゃ、 大切にしよう、忘れてはならない、それてはならない、捨てるな、知恵はわたしを守る。 知恵を愛せ、それがわたしを保つ。 知恵のはじめに知恵を得よ。すべての財産をかけて悟れ、それはわたしを高めてくれる。 抱きしめると、悟りは誉れを与えられる。わたしの頭に麗しい花輪を与えられ、光栄の冠を授けてくださる。
ドロシー・ロー・ノルドという方のかかれた「子供が育つ魔法の言葉」という本の中に、とてもすてきな言葉があるそうでした。きのう皇太子さんの出ておられるテレビでみました。
不安な気持ちで育てると子供も不安になる、 愛してあげれば子供は愛することを学ぶ、 やさしく思いやりをもって育てるとやさしい子に育つ、、 とかたくさんの素敵な言葉があるそうです。 私自身、親に完璧に育てられたと思わないのだけれども、これをきいて、自分の足りないところを振り返りました。 そして、神様はよい方、素敵な方なので、どんなところがわたしは信じられてないのかなと・・思いました。 愛、わたしたちはよく間違うことがあるかもしれません。 愛からそのことをしていると勘違いして、実は自分のためにしてしまうことだってもしかしてあるかもしれないです。 そのとき、この聖書のことば、 そして何より神様がどんな方なのか、いつも私たちを見てくださる神様をキャッチすることが、周りに愛をもって接することなのかもしれない、、とそう思えるのです。 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、 また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません。 またたとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私の身体を焼かれるために渡しても、 愛がなければ、何の役にも立ちません。 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。 完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます。 コリントⅠ13:1~10
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